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88世代が『ゆとりですがなにか』(2016)を観て思ったこと

いきなり2018年鑑賞ドラマナンバー・ワン候補。

 

 

 

新年早々、宮藤官九郎脚本「ゆとりですがなにか」(2016)を鑑賞した。87年生まれのの「ゆとり第1世代」の登場人物たちが、職場や家庭で生き辛さを感じ、もがきながらも、前へ進んでいく物語。ゆとり世代を肯定も否定もしない、ありのままの姿を表現する、という脚本家・宮藤官九郎のスタンスにありながら、この作品によって、確実に「ゆとり世代」というこれまで負の文脈でしか語られてこなかったワードの持つ意味は変わった。この作品で最も好演していた安藤サクラの「何か、世の中の、大きなものが動こうとしている、そんな作品に携われたことを誇りに思う」というような趣旨の発言をされていたが、あながち大袈裟な表現でもないと思うくらいの作品だったと思う。

くだらない、でも真面目

宮藤官九郎の熱心なファンは多いが、実はこれまで氏が脚本を務めた連続ドラマをしっかりと観たことがなかった。映画は何本か観たかもしれない。一作品みただけでは何も分からない。しかし「くだらない、でも真面目」という空気感はとても好みだった。

ゆとり世代ゆとり世代に思うこと

88世代の自分たちは、確か中学2年のときに週休二日制が完全に採用されたと記憶している。自分は週休二日制よりも「総合的な学習の時間」が導入されたことの方が、当時の記憶としては印象が深く残っている。導入されたばかりの「総合的な学習の時間」で、就労体験だったか、町に出て周りの大人と話すことがあって、「これ何の科目で来てるの?社会科?いや、総合的な学習の時間か」と、当時話題になっていた「総合的な学習の時間」という言葉を使いたいだけの大人に「嘲笑」された記憶がある。今でいうところの「忖度」という言葉を使う空気感に似ているような、上手く表現できないけど。当時の自分は少なくともこの「総合的な学習の時間」が町で普通に働く大人には好意的に受け取られていないのだな、と感じていた。結局、総合的な学習の時間って何だったの?今でもあるの?

話は逸れたが、ゆとり第1世代の自分たちにあっては「もしかして、ゆとり世代?」と一度も聞かれることなくこれまで生きて来られた人は、まずいないだろう。そう言われたときにどう感じるかは、人それぞれだと思うが、自分の場合、そこまでストレスを感じることもなかった。かと言って、もちろん気持ちのよい気分になることもない。そもそもゆとり世代として生まれて、得をしたこともなければ、損をしたと感じたこともない。これまでの生きてきた人生には、決して少なくない、生き辛さがあったが、これは世代の問題ではないと思っている。家庭の問題であり、個人の問題であり、たまたまそこにある制度の問題であり。正直、この作品に触れて初めて「自分たちってゆとり世代だったんだなぁ」としみじみと感じたくらいに、ゆとり世代当事者という自覚もなかった。

いつの時代も若者は生き辛い

上の世代から「最近の若いやつは」と言われ、「覚えとけよくそが」と思っても、実力も実績もないから、ただただ言われることをただこなすだけ。中には理不尽なこともたくさんあるけれど、食っていくことに必死だから、何も言えない。たまに若くして大成している同世代もいるけれど、そんな人は一握りであって、そういう人にとっても、必ず生き辛さというのはある。いつの時代も人生経験が短い若人は生き辛い。

ゆとり世代の巻き返し

ゆとり世代がいよいよ30代になり、社会の構成員として労働力の中心になっていく。バブル期に生まれ、失われた20年をそのまま子どもから大人になった。リーマン・ショックで氷河期といわれた就職活動を乗り越え、社会人になってすぐに東日本大震災が襲った。ゆとり世代は、この国の輝いている姿を知らない。しかし、いま、完全失業率が改善して物価も少しだけ上昇、経済はいい方向に向かっている。来年には改元も迎える。オリンピックもある。何となく世の中の雰囲気が変わり始めている。信じることで裏切られてきた経験しか持っていない世代だけれど、それでも、もしかしたら、という僅かな望みを感じているのは確かだ。もがき続けた30年を経て、ゆとり世代、人生後半の巻き返しが始まる。ゆとりを盾に生きるのは、もうそろそろ終わりにしよう。

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